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広島高等裁判所岡山支部 昭和60年(ネ)98号 判決 1987年5月28日

控訴人

大豊運輸株式会社

右代表者代表取締役

濱口正義

右訴訟代理人弁護士

北山六郎

右同

土井憲三

右同

村上公一

被控訴人

山本喜美子

被控訴人

山本美佐免

被控訴人

山本清子

被控訴人

山下芳枝

被控訴人ら訴訟代理人弁護士

吉田露男

主文

原判決中、控訴人と被控訴人らに関する部分を次のとおり変更する。

控訴人は、被控訴人山本喜美子に対し金三五万円、同山本美佐免に対し金二〇一万六二五八円、同山本清子及び同山下芳枝に対し各金一六六万六二五八円並びにこれらに対する昭和五三年三月二一日から各支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

被控訴人らの控訴人に対するその余の請求をいずれも棄却する。

訴訟費用は、第一、二審を通じて、これを五分し、その一を控訴人の、その余を被控訴人らの、それぞれ負担とする。

この判決は第二項につき仮に執行することができる。

事実

控訴代理人は「原判決中、控訴人敗訴部分を取り消す。被控訴人らの控訴人に対する請求を棄却する。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人らの負担とする。」との判決を求め、被控訴代理人は「本件控訴を棄却する。控訴費用は控訴人の負担とする。」との判決を求めた。

当事者双方の事実上の主張は、次のとおり附加するほか、原判決事実摘示中、控訴人と被控訴人らに関する部分の記載と同一であり(但し、原判決四枚目裏九行目の「運送委託契約」を「運航委託契約」と、五枚目表一一行目の「安全義務」を「安全配慮義務」と、それぞれ改め、六枚目表一二行目の「定期傭船者」の次に「ないし運航受託者」を加え、七枚目裏七行目の「9.821円」及び八枚目表二、三行目の「13.889円」の各「円」を削り、同八行目の「被告」を「被控訴人」と改める。)、証拠の提出、援用及び認否の関係は、本件記録中の第一、二審書証、証人等目録記載のとおりであるから、これらを引用する。

(控訴代理人の当審における陳述)

一  控訴人は第一栄勢丸(以下「本件船舶」という。)の運航受託者の地位にあつたにすぎず、その運航作業の責任はすべて船主、船長にあることは船舶安全法、船員労働安全衛生規則等からも明らかであり、この意味で、右船内作業に対して控訴人としては指示も監督もなし得ないし、現になしていない。本件運航委託契約において、被控訴人ら主張の安全配慮義務は、「船主の堪航能力条項(同契約一条)」として、船主の亡柏原にあることが明定されていたものである。

本件運航委託契約が委託者に対し積荷の選択等の点で拘束性を有するとしても、これは競争の激しい海運業界において互いに効率的な経営、生存を図るべく締結した契約当事者の契約上の拘束力として当然のことであり、また、それ以上のものでもなく、船主の訴外柏原は右の見地から自由な判断で右契約締結に及んだものである。本件タンクが控訴人の賃貸にかかるものであることは事実であるが、そもそも右タンクは、設置当時の船主に資金がなかつたため、控訴人において設置賃貸したものであり、訴外柏原が希望すればこれを買取ることもできたのであつて、控訴人が契約を拘束する手段としての意味などなかつた。かように、控訴人と訴外柏原及び亡山本との間に実質的使用関係があつたとはいえず、控訴人としては、運航受託者として、安定的な荷主の確保及び効率的な運航につき配慮をなすことで足るものであつた。

二  仮に、控訴人において本件船舶の乗組員に対する安全を配慮すべき義務があつたとしても、控訴人はこれを尽くしてきた。

すなわち、控訴人は、昭和四〇年代半ばからの危険物運輸に対する安全管理の厳格化に伴い、安全担当の専従者を置くこととし、昭和五二年四月一日社内組織として「船舶安全対策委員会」を設置し、同年六月、管轄海運局の職員であつた石尾勇二を右担当の海務部長(右委員会事務局主席)として入社させた。右以後の控訴人における安全確保、安全教育の企画、実行は次のとおりである。

1  右石尾は、右船舶安全対策委員会の運営規則を立案、実行し、月一回の定例会を開催した。その定例会においては各種安全教育を実施し、欠席者に対しては同会資料を郵送して撤底を図つていた。

2  右石尾は、月平均約二〇隻に及ぶ自社船、他社船を訪船し、その際右資料に基づき指導を行なつてきており、本件船舶についても少なくとも二回は訪船した。これら訪船時においては、船舶の設備を点検するほか、運送品、とりわけ危険物の取り扱いには資料をもつて常々注意し、酸欠の防止については事細かにその危険性と防止の教育をしてきた。ことに、石尾は、亡柏原及び亡山本に対し、右訪船時、酸素検知器具の設置を勧告したところ、本来、これを設置すべき義務のある船主の柏原は、自己において購入して設置する旨答えていたものであり、石尾としては、右の設置があるものと考えていたものである。控訴人の安全教育、安全配慮に欠けるところはなかつた。

3  本件船舶の荷役用ポンプの能力については、亡柏原や亡山本から控訴人に対し、その不足等格別の通知はなく、日常稼働していたのであり、控訴人としてはポンプの能力について何ら疑いを持たず、通常の能力を有するものと考えていた。また、荷役の圧力に窒素を使用することは禁じてもいたし、そもそも通常あり得なかつたのである。控訴人としては、船主、船長たる者が窒素の充満するタンクに無防備で立ち入ることは予想すべくもなかつた。

(右陳述に対する被控訴代理人の答弁及び主張)

右一、二の主張はすべて争う。なお、請求原因3の(一)の安全配慮義務違反の主張は不法行為責任の前提事実としても主張するものである。

理由

一本件事故発生に至る経緯からその原因についての当裁判所の判断は、原判決がその理由の第一「本件事故の発生」において説示するところ(原判決一二枚目表八行目の「請求原因」から一四枚目表七行目まで、但し、原判決一三枚目表七行目の「山丸運輸」を「山九運輸」と同裏一一行目から一二行目の「依頼し、同人はこれを承諾して」を「依頼した。これに対し近藤は圧縮空気のバルブが使用禁止となつていたため、エアーはないが窒素ならある旨答えたところ、亡山本は、それでも良いから送つて欲しい、と求めたので、近藤はこれに応じて」と、一四枚目表六行目の「タンク内が」を「タンク内に」とそれぞれ改める。)と同一であるから、これを引用する。

二控訴人の責任原因について

1  被控訴人らは、本訴請求において、各固有の慰謝料を請求し、遅延損害金の起算日を本件事故の翌日からとしていることからして、不法行為を理由とする損害賠償請求を主位的請求としているものと解される。

2  そこで判断するに、被控訴人らは、まず、右不法行為の根拠として、控訴人に契約上或いは条理上の安全配慮義務がある旨主張するものである。

請求原因8の事実中、控訴人(受託者)と亡柏原(委託者)とが本件船舶につき運航委託契約を締結していたこと、その実体は別として、両者の間に定期傭船契約書が作成されていたこと、本件船舶の船倉タンク、カーゴポンプ、同原動機等の荷役設備が控訴人の所有であつたことは当事者間に争いがなく、右争いのない事実に、<証拠>を総合すると、以下の事実を認めることができる。

(一)  本件船舶は昭和三六年に帆船として建造されたが、同四一年に汽船に船種を変更し、貨物船として運航されていたものであるところ、同四二年に、当時の所有者であつた小嶋静夫が控訴人にこれを持ち込み、特殊タンク船に改造して控訴人の下で運航したいと申し出、控訴人もこれを受け、控訴人所有のタンクを積み込み、控訴人の経済的便宜によりその他の附属設備も設置するなどして右特殊タンク船に改造した。当時は、内航海運業者の経営安定を図るため、法規や行政指導により一般貨物船、オイルタンカー等の船舶の調整がなされ、船舶の建造や改造には厳しい制限が科されるようになつていた時期であつたが、特殊タンク船については、安定した荷主が確保できる傭船保証がある限り、荷主、積荷、航路を限定することにより右制限は緩和されていた。

(二)  ところで、船舶の定期傭船契約においては、運送量の多寡にかかわらず、定額の傭船料が支払われるものであるが、より高い収入を求める船主としては、実績のある運航者(オペレーター)との間で運航委託契約を結び、運送量に応じた収入を得ることができる方法を選択するのが一般であり、右小嶋も同様であつた。そこで、控訴人は右申出に応じ、前記規制に触れないようにするため、その実体はないものの、対行政用に、小嶋との間で内航定期傭船契約書を作成(したがつて、本件船舶は、行政上は特殊タンク船として控訴人の配下としてしか仕事ができないものであつた)する一方、実際に当事者を規律するものとして運航委託契約を締結し、本件船舶に前記荷役設備を設置して、これを特殊タンク船に改造し、右設備は船主に賃貸し、以後、右受託者として本件船舶の運航にあたつてきた。

(三)  本件船舶は、その後、山本義一、合田俊徳らを経て昭和五二年七月一四日亡柏原がこれを所有するに至つたが、特殊タンク船に関する前記規制の趣旨は、船舶所有者の変更にも及んでおり、新所有者は運送業者との間で傭船契約を結ぶ必要があり、控訴人は右所有者の変更に伴つて、それぞれ右小嶋の場合と同様に新所有者との間に二通の契約書を作成し、実際には運航受託者として、本件船舶の運航にあたつてきた。そして、控訴人は、亡柏原に対しても、以上のことを説明し、柏原もこれを了解して、両者の間で内航定期傭船契約書(甲第一六号証)及び運航委託契約(以下「本件運航委託契約」という。)書(甲第一七号証)が作成され、亡柏原は、控訴人に対し、右後者が実際を規律するものであることを確認する旨の念書(乙イ第六号証)を差し入れ、前主同様荷役設備を賃借して、本件船舶の運航を委託してきた。亡山本は昭和五二年七月亡柏原に雇傭され、船長として本件船舶に乗り組むようになつた。

(四)  本件運航委託契約においては、原判決理由第三の一の(2)の(一)ないし(五)認定の約定(原判決一八枚目表五行目から同裏一〇行目までの記載を引用する)がなされ、これにしたがつた履行がされてきた。なお、特殊タンク船の前記制約から、亡柏原としては、控訴人の同意を得て本件運航委託契約を解消し、他のオペレーターと契約して積荷保証を得ない限り、控訴人が手配する以外の仕事はできない建前であり、また、荷役設備を賃借していたこともあつて、控訴人が手配する仕事は事実上断われない立場にあつた(実際、亡柏原が控訴人の積荷手配を拒否したことはなかつた)。

(五)  控訴人は腐触性無機化学品の内航海運を主とする会社であるが、船舶に乗り組む現業職員は有さず、自社所有船も、一旦他に傭船(裸傭船)に出し、傭船先で船員を乗り込ます等して運航可能の状態にしたものを、再度自社で傭船する(バックチャーター)という形を取り、本件事故の頃は定期傭船一九隻(内一〇隻は自社船)、運航委託船六隻を運航させていた。右化学品は、それ自体危険物であり、また、化学反応等でタンク内が酸欠になる危険もあつて、昭和四〇年代から、これらを運搬する船舶の安全管理が重視されるようになり、控訴人においても、昭和五二年四月に、その自社船及び受託船舶の海上における安全と人命並びに衛生管理その他各種の災害の未然防止を目的として社内に船舶安全対策委員会を設け、運輸省船員局作成にかかる安全対策資料や会社の制定した「危険物取扱い心得並に安全設備総点検要項」等を船長等関係者に配布して、支配船に船舶の整備及び船員の作業行程等につき各種の具体的な指導及び指示を与える等してきたが、右のような運航形態から、自社船を含む定期傭船と運航委託船の扱いの間に格別の差異は設けず、各船舶の船主ないし船長は右委員会の委員として、定例(月一回)の委員会に出席することとされていた。その後、控訴人はその支配する運航船舶及びその船員の安全教育強化の必要から、昭和五二年六月、運輸省職員として船舶安全運航の職務経験もあつた石尾勇二を当時社内に新たに設置された海務の部長として招き、支配船の整備及び船長、船員の安全運航の仕事に専属させることとした。同人は前記委員会の事務局主席委員でもあり、その実質的責任者としてこれを主宰し、欠席した委員には資料を配布し、また、折にふれ(月に二〇隻程度)支配船を実地に訪船し、全般を点検した後、船長、機関長らに不備な点を指摘し改善を指示する等してきた。同人は本件事故前に本件船舶を二回位訪船している。

以上のとおり認めることができ、これを左右するに足る証拠はない。

右認定事実からして考えてみるに、たしかに、本件当事者間を規律する法律上の形式は、本件運航委託契約であつて、同契約自体は、船主たる柏原がその所有船の運送契約締結業務を運航業者である控訴人に委託し、右締結された運送につき船主は自分の船員を乗せたその所有船をもつて直接荷主の運送に従事するにすぎないものであり、右契約上の拘束といつたもののほか、外形上は控訴人と船主、船長との間に格別の支配従属関係といつたものはないようにみられ、また、<証拠>によれば、本件運航委託契約には「船舶の堪航能力欠如から生ずる一切の責任は委託者に帰属する。」という条項もあり、<証拠>によると、一般に、右堪航能力のうちには、荷物の積載及びタンクの維持管理等も含まれるものともされている。

しかしながら、前認定のとおり本件当事者間においては右運送委託契約のほかに、対行政用のものとはいえ、併せて内航定期傭船契約書も作成されているのであつて、船主柏原が実際の契約関係として右運航委託契約を選んだのは、専らその運賃収入の多寡にあつたにすぎないものとみられ、本船は、昭和四二年に控訴人の下で運航の用に供される前提で控訴人の経済的援助により特殊タンク船として改造されて以来、本件事故当時まで約一一年もの間歴代の船主により前同形式の二通の契約書が作成されて控訴人の下でその運航業務に供されてきたものであり、本船の運航に関する行政監督官庁の船舶及び船員の安全等も含む指導及び指示等も前記内航定期傭船契約の存在を前提に運航業者(傭船者)も含めてなされていたものとみられ、運航業者、船主、船長等もこのような行政上の関係を了知していたものとみられるところであり、その他前認定の本件運航委託契約における特殊タンク船であることからする強い制約及び同船の枢要部分たる荷役設備の所有関係からする拘束等の諸事情を考慮すると、控訴人は、本船もほぼ自社船同様にその配下の支配船として自己の業務の中に一体的に従属させ、船主たる亡柏原及び船長たる亡山本も、事実上控訴人の指揮監督を受ける関係にあつたものとみられ、船員等運航従事者を持たないことを営業方針とする控訴人にとつては、亡柏原及びその履行補助者たる船長亡山本から、実質的に労務の供給を受ける関係にあつたということもできる。このことは、前記のとおり、控訴人にとつて、昭和四二年以来、現に本件船舶が自社船と同様の役割を果たしてきたこと、控訴人において、安全管理の面に関しても本件船舶を自社船と同様に扱つてきたこと等、その実績からも裏付けられるものといえる。

これらのことからすると、控訴人は、亡柏原及びその履行補助者たる亡山本に対し、本件運航委託契約に信義則上伴う義務として、本件船舶で前記危険物を運搬することから生ずる生命及び健康の安全を配慮すべき義務あるものと解するのが相当であり、右義務は被控訴人ら主張の不法行為の前提事実となるものということができる。

右に関する控訴人の、本件運航委託契約は対等当事者間の契約であつて、右契約においては安全運航に関するすべての責任は船主側において負担すべきであるとの約定があつたといつた主張は、前掲各証拠及び前記認定説示したところに照らしにわかに肯認し難いところであり、他に右格別の約定を肯認せしめるに足る証拠もなく、また、前記本件運航委託契約における船舶の堪航能力欠如から生ずる責任条項の点も、本件の如く当事者間に支配、従属の関係があり、荷役設備部分が受託者の所有であるような場合には、右条項の存在をもつて控訴人が右安全配慮義務を免れるものと解するのは相当でなく、控訴人の主張は採用できない。

三控訴人の不法行為の成否について

1  被控訴人らは、控訴人の過失として、本件船舶の荷役設備の能力に問題があつたのに適切な指示を欠いていたこと、酸欠を予測しての安全教育、保護具の設置に不備があつたこと等を主張し、また、本件事故が亡柏原の窒素ガスの危険性を看過したことによるとして、控訴人の使用者責任をも主張するものである。

そこで判断するに、前記認定事実に、<証拠>を総合すると、以下の事実を認めることができる。

(一)  船舶に積載した液体の荷役には、タンク内に気体を注入し、その圧力で荷揚げをするエアー荷役(コンプレッサーによる)とカーゴポンプで汲み上げるポンプ荷役とがあり、本件船舶は元々エアー荷役方式であつたが、昭和五一年五月の船舶検査時に担当検査官から船倉タンクの衰耗が発見されて右方式の中止方が指示され、控訴人は以後エアー荷役方式をやめ、カーゴポンプを設置してポンプ荷役方式に転換した(なお、被控訴人らは、本件船舶は右検査により苛性ソーダ等の危険物を積載することが禁じられた旨主張し、前掲甲第一四号、乙イ第一六号証の一の記載は、これに沿う如きであるが、前掲乙イ第一七号証及び当審における控訴人代表者本人尋問の結果によれば、右検査時においては圧送による荷役が禁ぜられたにとどまるものと認められ、右主張事実は未だ認め難い。もつとも、この点は本件における過失責任の認定に直接関わるものではない。)。

(二)  しかし、右カーゴポンプの出力が十分でなかつたため、亡柏原の前船主である合田俊徳の頃からポンプの出力の補助用に荷揚港からエアー(空気)の供給を受け、ポンプの始動時にタンク内の圧力を高め(エアーの圧力のみで荷揚げをするのではない点でエアー荷役とは異なる。)、荷役時間を短縮することが恒常的に行なわれていた。

(三)  右のように、カーゴポンプの出力が十分でないことは珍らしいものではなく、その補助用に備え付けのコンプレッサーが使われることがあり、本件船舶にもその設備があったが、これによつては荷役時間の短縮はさほどのものではなかつた。ところで、窒素は可燃物の圧送(可燃物以外の圧送にはエアーが用いられる)に原則的に用いられるが、一般にも揚液後のホースの残液抜きに用いられることがあつて(窒素は吸引すると人体に酸欠を生ぜしめて非常に危険であるが、右圧送等に用いられること自体は危険なものではない)、荷揚港にはその配管もされていた。これらのことからして、海運業者たる控訴人にとつて、苛性ソーダの荷役の場合でも、亡柏原らがエアーがないなど何らかの理由によつて右補助用に陸上の窒素を用いることも予見可能であつた。また、控訴人は亡柏原らに対し積載物が変わる場合には船倉タンク内の清掃をするよう指示しており、右窒素を用いた後に同人らがタンク内に立ち入ることも予見し得べきものであつた。

(四)  昭和四八年八月二四日付運輸省船員局長の「酸素欠乏による危害の防止について」と題する関係通達によると、酸素欠乏危険場所の一つとして窒素ガスを注入したタンク内を指摘し、その中での作業開始前には空気中の酸素の量を検知すること、また、右危険場所で作業する者に対する右酸素欠乏症の防止等に関する教育を実施することなどが述べられ、昭和五一年発行の全国内航タンカー海運組合編の「内航タンカー安全指針」でも、窒素ガス等不活性ガスを注入したタンク内での酸素欠乏の危険が指摘され、その防止のための安全対策の必要が強調されている。

(五)  当時、海上運送業を営む辰己商会においては、その安全衛生担当社員を船の寄港地へ出向かせるなどして、化学薬品を運搬する傭船(タンク船)の船長や乗組員に対して、窒素の危険性及び窒素を用いた場合のタンク内に入るときなどの注意についてその教育を徹底させていた。

以上のとおり認めることができ、<証拠>のうち右認定に反する部分は措信できず、他にこれを左右するに足る証拠はない。

2  以上のところからすると、控訴人としてはカーゴポンプの能力及びその使用の実状を把握し、また、ポンプの能力補充用に窒素が使用される可能性があることを予見し、その禁圧、或いはこれを用いた場合のガスの置換、タンク内洗浄の手順等の安全教育の徹底、酸欠検知器具の設置等の注意義務があつたものといえる。

しかるに、<証拠>によれば、控訴人はカーゴポンプの能力及びその使用の実状を確かめたことはなく、また、控訴人は、その海務部長石尾勇二を介し前記船舶安全対策委員会での説明や訪船時の指示により書面又は口頭で、船主、船長に対し、化学反応によるタンク内の酸欠やタンク内に有毒ガスが滞留することの危険性について一般的な安全教育をなし、船主又は船長にも配布された前記危険物取扱心得には、圧力荷役を行う場合エアーに替えて窒素を使用することを禁止する旨、薬品タンク槽内洗浄時の注意及び手順等(清水又は海水による槽内のガス抜きを充分にやること、槽内に入る者は保護具を着用すること等)が一般的に記載されており、そしてまた、右委員会で昭和五二年七月頃船長に配布された運輸省船員局の「船員労働安全衛生月間実施要綱」にも、船内作業にあたつては保護具、検知器具の使用を習慣づけるよう一般的に記載されており、更に、右石尾が本船の訪船時に船主柏原に対し、有毒ガス検知用の器具の設置を勧めたこともあつたが、窒素が加圧用に使用される可能性については全く思い及ばず、控訴人において、特に、本船の船主、船長に対し、窒素の使用を前提とした、その危険性、使用禁止、その使用後の措置、注意等につき具体的な指示、教育等をしたことは全くなく、右窒素が加圧用に使用されることについては何らの指示等もしなかつたこと、なお、右検知器具も設置されないままであつたことが認められ、右認定を左右するに足る証拠はない。

右認定事実からしてみるに、たしかに、控訴人はタンク内における酸欠及び有毒ガスの滞留による危険性につき一般的な安全教育をし、また、一般に、圧力荷役で窒素の使用を禁止し、タンク内の洗浄時の手順等を一般的に指導し、検知器具の使用を勧めており、また、無機質で可燃物でもない苛性ソーダの荷役の加圧用に窒素は通常使用されないところではあるが、しかし前認定のとおり、その他の場合に窒素が使用される場合もあり、現に荷揚港には窒素も配管されており、そのうえ、本船ではカーゴポンプの圧力不足で恒常的にエアーによる加圧を行なつていたというのであるから、控訴人としては訪船時等に右ポンプ使用の実状を把握し、窒素使用の可能性も予見して、右船主、船長らに対しその使用の危険を配慮した十分具体的な指示教育をなすべきであつたとみられ、しかるに、控訴人の行なつた右教育、指示等は一般的で、特に本船に即したものともみられず、また、右検知器具の設置の勧めも、その後設置の有無等につき確認したような状況も証拠上全く窺われないところで、窒素の危険性の大きさを考慮に入れるとき、これらはいずれも控訴人の安全配慮として極めて徹底を欠いたものといわざるを得ないところで、これらの点で、控訴人にはその安全配慮義務を怠つた過失があるものというべきである。

なお、積荷が変わる場合にはタンク内を清浄するものとされていたことは前記のとおりであり、<証拠>によれば、亡山本らがタンク内に立ち入つたのは荷役終了後一時間ないし一時間半位経過した時点(午後一時頃)であつたと推知されるところ、酸欠の危険性を知つた者であつても、右程度の時間経過後には、軽率にしても、タンク内に立ち入ることがないとはいえない(なお、前掲甲第六号証によれば、本件事故当日の午後二時五〇分頃の、格別のガス置換方法をとらない下でのガス検知では右タンク内の酸素濃度は正常に近いものとなつていたことが認められ、マンホール等から自然にガス置換がなされるものと考えられる。)から、右過失と本件事故との間には相当因果関係があるものというべきである。

四控訴人の過失相殺の主張について判断する。

被控訴人らは、亡山本が、先にタンク内に立入つた亡柏原の危険を救うため、タンク内に入つたと主張するところ、<証拠>を総合すると、本件船舶はタンクの洗浄を沖合ですることを常としていたこと、本件船舶は本件事故後海上を漂流しているのを発見されたが、当時、本件船舶の主機関は起動状態でクラッチは中立の位置にあり、タンク内に海水が注入されていたこと、タンク内に倒れているのを発見された亡山本及び亡柏原は、いずれも作業手袋を着用し長靴を履いた作業用の服装であつたこと、タンクの洗浄は海水を注入して残液等を洗つた後これを船外に排出するものであつて、その作業のためタンク内に相当時間とどまることを要するものではないことが認められ、これに反する証拠はない。

右事実からすると、亡山本ら両名は共に洗浄のためにタンク内に立ち入つたものと推認するのが相当であり、その他被控訴人ら主張の右事実を窺わせるに足る証拠はない。

ところで、前認定説示したとおり苛性ソーダの荷役の加圧用には窒素は通常使用されないところであり、このことは船長である亡山本も了知していたものとみられ、また、窒素の充満したタンク内に立ち入ることは直ちに窒息死する虞れのある危険なものであることは、通常人においても当然に予期すべきものであり、化学薬品を運搬する亡山本らは控訴人から一般的な酸欠についての教育等も受けていたのであるから、当然に右危険性を認識し、船のコンプレッサーを利用する等して換気を十分に図り、適宜な方法で安全を確認してから、タンク内に立ち入るべき注意義務があつたといえる。しかるに、前記認定事実からすると、亡山本らは、敢て窒素を使用したうえ、その後の右安全確保のための措置を取ることもなく、軽率にタンク内に立ち入つたものと認められ、その過失は極めて大きいものというべきである。

そして、以上認定の、控訴人の安全配慮義務及びその履行の状況に亡山本の右過失並びに本件事故の態様等を総合勘案するとき、本件事故についての亡山本の過失割合は八五%と認めるのが相当である。

五損害の発生及びその額について

1  逸失利益

(一)  <証拠>を総合すると、亡山本は大正一二年七月生まれで死亡時満五四才であり、亡柏原から受ける給与は月額手取平均一九万円であつたこと、月平均二〇日位の乗船中の食費は船主負担であつたことが認められ、右認定を左右するに足る証拠はない。

そこで、同人の生活費割合を三割とし、就労可能年数を一三年として、ホフマン係数を用いて亡山本の死亡時の現価を計算すると次のとおり一五六七万四三一六円となる。

(190,000×12)×0.7×9.821

=15,674,316

そして、右金額から過失相殺として八五%を控除すると二三五万一一四七円となる(円未満切捨、以下同)。

(二)  被控訴人らは、亡山本が受けていた傷害補償年金の喪失も逸失利益にあたると主張する。

<証拠>を総合すると、亡山本は昭和四七月三月頃の労災事故の後遺症(手指の一部を失つたもので、傷害等級七級に該当)で労働者災害補償保険法に基づく傷害補償年金を受給していたこと、昭和五二年度中の右額は合計一〇五万八九〇八円であることが認められ、これに反する証拠はない。

そこで、労災保険給付の趣旨を検討してみるに、右同法の立法の沿革、事業主による費用負担、給付額の基準等を総合すると、右趣旨は基本的には被災した労働者の労働能力等の財産的損害を填補するにあるということができ、右給付は当該労働者の収人とみられるところ、亡山本は本件事故による死亡によつて本来その生存中得られる筈の右受給権を失うこととなるものであるから、これも、逸失利益にあたるというべきである。

そこで、亡山本の死亡時の簡易生命表による平均余命のうち被控訴人ら主張の余命年数二〇年に基づいて前同様(但し生活費割合は四割とみるのが相当である)の方法で亡山本の死亡時の現価を計算すると、次のとおり八六五万〇八五四円となる。

1,058,908×0.6×13.616=8,650,854

そして、右金額から過失相殺として八五%を控除すると一二九万七六二八円となる。

(三)  <証拠>によれば、亡山本の相続人は妻の被控訴人山本美佐免、子の被控訴人山本清子、同山下芳枝の三人であることが認められるから、同人らは亡山本の右(一)、(二)の損害賠償請求権合計三六四万八七七五円を法定相続分により各三分の一の一二一万六二五八円ずつ相続したことになる。

2  慰謝料

亡山本と被控訴人らとの身分関係(なお、<証拠>によれば、被控訴人山本喜美子は亡山本の母であることが認められる。)に、亡山本の年令や前記被控訴人山本美佐免本人の尋問の結果により窺われる亡山本の家庭における立場、その生活状況、本件事故の態様及びこれについての亡山本の過失等本件に顕れた一切の事情を総合すると、被控訴人ら固有の慰謝料として、被控訴人山本美佐免に六〇万円、その余の被控訴人らに各三〇万円ずつを認めるのが相当である。

3  弁護士費用

本件事案の内容、訴訟進行の経緯、認容額等に照らし、本件損害としての弁護士費用としては、被控訴人山本喜美子につき五万円、被控訴人山本美佐免につき二〇万円、その余の被控訴人らにつき各一五万円と認めるのが相当である。

六以上のとおりであつて、被控訴人に対する請求は、被控訴人山本喜美子が三五万円、同山本美佐免が二〇一万六二五八円、その余の被控訴人らが各一六六万六二五八円及びこれらに対する本件事故の翌日である昭和五三年三月二一日から支払済みまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める部分は理由があるが、その余の請求は理由がない。

よつて、これと異なる原判決を右の趣旨に変更することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法九六条、八九条、九二条、九三条一項本文を、仮執行の宣言について同法一九六条一項を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官渡辺伸平 裁判官浅田登美子 裁判官廣田聰)

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